ながおかドキドキ通信


 小説「光る砂漠」−夭折の詩人矢澤宰の生涯ー
   中国の矢澤家
 1941年(昭16)12月8日、日本は真珠湾攻撃によって太平洋戦争に突入した。連勝に次ぐ連勝で国民はその結果に酔いしれた。だが42年6月5日、ミッドウェー海戦での敗戦で戦局は一変。戦いはジリ貧の一途を辿る。中国、江蘇省東海県海洲に住む矢澤家も戦争とは無縁でなく45年5月、海洲鉱業開発に勤めていた元彦のもとにも現地での召集令状が届いた。
 勤めを終えて家に帰った元彦に麗が宰をおんぶした格好て慌て駆け寄った。「どうしたんだ」と麗に話しかける元彦。「とうちゃん。これが届いた」と麗は割烹着のポケットから招集礼状を見せる。この日が来ることは予想していたとはいえ驚いた様子の元彦だった。
 この年、30歳になった元彦。「とうとう俺にも来たか。こんな歳のオレまで戦争にひっぱりだすとは・・・日本も来るところまで来たがあろかのう」とつぶくようにいう元彦。
「とうちゃん。それてばどういうことら」と聞く麗。
「オラへえ30らろう。こんげな歳のオレまで戦争に引っ張り出すということは日本も相当、戦争に無理しているということらいや」という元彦。
「そうせば私たち家族はどうすればいいがあ」と元彦に聞く麗。
召集令状が来たがあけお前は宰を連れて日本へ帰れ。上北谷の親父の家に帰るがあや。北京で会社の人が日本へ帰る手続きをしてくんるすけや」という元彦。
「とうちゃんを残して帰れてかね・・・」と聞く麗。
「いいすけいう通りしろ。宰のこともあるすけや」と元彦は麗をさとす。
 召集令状が届いたことから夫婦の間には緊張と不安がよぎり暗い夕食となった。元彦はやるせない気持ちを抑えて早々にベットにもぐりこんだ。1歳となった宰のあどけなさだけが唯一の救いの矢澤家だった。

                                                 【続く】