ながおかドキドキ通信

 歴史ミステリー
栃尾に伝わる静御前伝説

(刈谷田川右岸の高台にひっそりと建立されている静御前の墓、左は福王寺セイを偲んで建てられた塔)
 静御前をご存知だろうか。平安時代後期から鎌倉幕府成立まで活躍したあの時代のヒーロー源義経とラブラブだった女性だ。義経時代の寵児として京の都でもてはやされた時に白拍子(遊女)だった静と出会いアツアツの関係になったといわれている。
 義経はその後、兄で時の権力者、頼朝に嫌われ流浪の身となって奥州・平泉に落ちのびた。一方の静は義経を追ったが吉野の山中で捕らえられ鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮で頼朝らが見る前で舞を披露した。許されて再び京へ戻されたといわれている。その後の消息はまった分かっていない。
 北海道での自殺説、旅先での客死設など諸説ある。そんな中で長岡市栃尾栃堀には京の都から義経を追って平泉を目指したが旅の疲れでかの地で客死したといわれている場所だ。明治に入り、静の墓が荒れ果ているのを悲しんだ小向に住む福王寺セイという当時、16歳のうら若き女性が静の墓を建立しようと資金作りのために機織りに精を出した。ところがセイはその後、18歳で病のため志半ばで早世してしまった。セイの志は父、長右衛門に受け継がれ現在の地に静御前の墓が新たに建立され、傍らにはセイを偲ぶ塔も建てられた。
 恋人の義経を追って山脈を越えて会津から平泉へと思いをはせながら栃尾という地で願いもかなわず客死したといわれている静御前。真実か伝説かはともかく、生涯を静御前の墓の建立のためにささげたセイ。それぞれ生きた時代は違うが墓と塔から伝わってくるのはうら若き女性の情熱だ。そこには真実であるかないかなどまったく意味をなさない。
 817回忌に建てられた静御前レリーフ

 08年11月、「静御前を偲ぶ会」、340人の有志によって増井岳人氏(東京藝術大)の作による頭巾をかぶり杖をつきながら歩く静御前をイメージしたレリーフ=写真=が完成した。約800年の時空を超え静御前の「思い」は遙かかなたの奥州・平泉の地に今度こそ届くことだろう・・・。