ながおかドキドキ通信


   小説「光る砂漠」−夭折の詩人矢澤宰の生涯ー1
  すじ雲
 
 関由紀は今年、66歳。30歳代の後半に新潟から東京に出て来て今は、渋谷でバーテン1人と若い女性1人の3人でカウンターに10人も座れば満席になるバーを営んでいる。
 6月のある日、不況のせいか客足も伸びなかったので由紀は普段の閉店時間の12時を前に閉店を決めた。深夜1時頃、下北沢にある由紀のマンション前にハイヤーに乗った由紀は降りた。運転手に「ありがとう」といってマンションに入りエレベーターのボタンを押し4階にある自分の部屋に急いだ。
 玄関の扉を開けて裏側にある郵便受けから何通かの郵便物を手に取って部屋の中に入る由紀。2LDKの部屋はキチンと整理されていて寝室にはカサブランカの花が活けてある。和服姿の由紀はリビングルームのソファーに身を横たえて冷蔵庫から取り出した缶ビールをグラスに注ぎながら郵便物を見始めた。数通の郵便物から一通の封筒に目が留まった由紀だった。
 それはかつて由紀がまだ10代の准看護婦だった頃の三條結核病院の職場の仲間からの封書だった。「生命の詩人 矢澤宰生誕50年」の由紀への案内状だった。
 グラスを手に寝室から大事にしていた矢澤宰の処女出版「光る砂漠」を持ってきて再びソファーに身を沈め本に目をやり頁をめくった。「あそこの空に 長い二本のすじ雲をひこう すじ雲には 桃色の夕焼けが光る むこうの山の 入道雲には 僕の大好きな 看護婦さんを座らせよう 僕は カンバラの青い平野に 大の字に寝ていつまでも これらを 見ていよう」という「すじ雲」と題された詩を読んでふと三條結核病院に勤務していた時代に思いを馳せる由紀だった。                                                                                                【続く】