ながおかドキドキ通信


 小説「光る砂漠」−夭折の詩人矢澤宰の生涯ー
 1958年(昭和33)宰は13歳となった。比較的病状も安定してきた宰は次第に自分の病気の経過や家族のこと、将来の自分のことなどを考えるようになっていた。日記を書き始めたのもこの頃からであった。「11月3日、月曜日。今日から日記をかくことにした。生まれて初めての事だけに、どうゆうふうにしてよいかわからないが、ともかく思った事、した事を全部そのとおりに書けばよいと思う。今日は、文化の日なので学校は休み、と、言っても僕はベットの上・・・。図画を書いた。まずいのだが、何か美しい人を書きたかった」と遺さされた日記には綴られている。
 宰の病室
 看護婦ゆき「「宰君、また食事を残したのね。いっぱい食べないと病気はよくならないわよ。ほらまた少し熱が出ているわ」といいなが宰の夕食のお膳を下げに来て宰の体調をおもんばかる。その時、サイドテーブルの上に置いてある宰が色鉛筆で描いた看護婦の絵がゆきの目に入る。
 「ああ、これ宰君が書いたの。これもしかしたら私」といいながら絵を手に取り悦に入るゆきだった。「ああ、それは」とベットの中から手を伸ばし、ゆきから絵を奪い取ろうとする宰だった。そんな宰の仕草も気にせず「なかなか良く書いてあるね。でも私がモデルならもっと美人よ」というゆき。宰は顔を赤らめながら「・・・」と無言だった。「この次はもっと上手く書いてもらうからね」というゆき。またしても宰は「・・・」と無言だった。
 宰の病室を出て行くゆき。宰はその姿を目で追う。午前中は病室からくっきりと見えていた弥彦山だったが夕食が済んだ頃には、天気は突然、雷が響き外は雷雨。病室のガラス窓にも激しく雷雨が打ち響く。視線をガラス窓に向けて憂鬱になる宰だった。
 「神様おしえて下さい 美しいのは美しいと 見ていいのでしょう? 好きなのは 好きだ!といってもいいのでしょう? それがどんなになろうとも あるものはあります 好きなんです 生きたいんです! 悲しいです みんなみんなです。 どうしょうもないのは どうしょうもないんでしょうか? 神様おしえてください」宰の心の中にはこんな詩が浮かんできていた。
                                 【続く】