ながおかドキドキ通信

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  1年間のご愛顧に感謝して・・・
 今年もあと数時間で終える。フツーの家庭では大晦日のご馳走がテーブルに並んで来るべき新年をおごそかに迎える儀式も始まろうとしている頃だろう。
 「ながおかドキドキ通信 Hiroshi348」の執筆者、つまりオイラはフツーの家庭人ではないのだ。4年前、某スポーツ紙の記者として3年間の単身赴任も終えてようやく新潟に帰ってこれたと思ったら、子育ても終えた元妻から「アナタとは一緒に住めない」といわれ現在のマンションで一人暮らしが始まった。3年前のクリスマスを控えたある日、社会人となった愚息を連れてマンションにやって来た元妻はオイラが記名捺印するだけとなった離婚届けに「判を捺せ」と迫り、その年のクリスマスプレゼントは離婚届けだった。さらに翌年にはオイラが出資者を募って設立したポスティングシステムの無料紙の会社からはわずか半年の赤字経営を理由に役員を解任させられ社からは追放。公私ともにグッタリと落ち込んだ。金は無くなるし社会的な地位もなくなりどうしていいか分からなくなった。09年4月には母が亡くなり葬儀では親戚一同の前で「お前のような○○性の恥さらしの人間はいない」といったようなことを実の兄からもいわれますます生きる気力をなくしてしまった。「死のうかな」とも思った。借りてるマンションで自殺すれば補償やなんかで大家も含め、また残った親戚に迷惑をかける。「じゃあ他の場所を探そう」と考えたが適当な場所も見つからなかった。
 単身赴任で勤務していた支局で毎月1回、自分が取材を通して感じたことを書く「支局発」というコラムを担当していた。その中で若年者の自殺者が増えたことを憂いてエラそうに「この世に生まれたからには自分しか出来ない何かがあるハズだ」といったようなことを綴ったことを思い出した。もし首尾よく自殺できたとしても死後、オイラを知る知人、友人からは「言っていることとやることが違うじゃないか」というそしりは免れないだろうと思った。そんなことを考えたら自分の矜持に反する。「エエい面倒だ。だったら辛いけれども生きるしかない」と覚悟を決めた。
 週5日は某所の勤め人をしながら週末を長岡市内のスポーツをメーンに取材。お金をかけないで不特定多数の人に知らしめるにはと考えた末が現在の「ながおかドキドキ通信 Hiroshi348」だった。
 平成の大合併で長岡は中之島町など近接町村と合併して人口約28万人。地方の中核都市となりJR長岡駅前には新庁舎「アオーレ」の完成も待たれる。長岡にはテレビ、ラジオ、新聞とこの町を取材対象とするメディアはあるが、まったく用をなしていないのがオイラの見解だ。その一例として11月30日、県立長岡室内総合プールで行われた競泳の「県スプリント選手権」にメーン選手として招かれたのがアテネ北京五輪で男子百、二百㍍平泳ぎで五輪2大会連続2種目で金メダリストとなった世界の北島康介(日本コカ・コーラー)だった。北島は引退した選手ではない。次のロンドン五輪を目指して泳ぎ続けている現役スイマーだ。そんな選手が現役時代に長岡に来るなどもうないだろう。それなのに市内のメディアは誰一人として取材に訪れていない。「アア、これが文化都市をウリにする長岡のメディアの現状の姿なのだ」と思ったら同業として悔しくて情けなくなって涙も出なかった。
 マスコミは使いようによっては毒にもなるし薬にもなる。それがマスコミを指して現代の第三の権力といわれる所以だ。地方メディアにとっては円高や、だらしない現在の民主党政権に関心を寄せることは必要だ。だがそれを大所高所に立った記事として発表したって誰も読まないし見ない。そんなことより「どっかの市議が票欲しさに近所のカアチャンと不倫した」などという下世話な話のほうが市民には関心がある。しなくてもいいことを取材してマスコミとして当然、取材しなければならないことを取材してない市内のメディアに記者生活25年を超えるオイラは、あえて苦言を呈したい。「もっと勉強しなさい」と。
 もうあと数時間で2010年も終える。1時間半後には某国営放送の大晦日の国民的行事といわれてるナントカ歌合戦が始まる。この原稿を綴りながらフツーの家庭人ではないオイラは2度のガンで胃が無くなった腹にウィスキーをストレートで流し込んでいる。こんな生活をしていたら3度目のガンを発症してもおかしくないだろう。たがオイラはこんなことでは死ねない。お世話になり支援してくださっている方々、つたないBlogの更新を待っていて下さる読者の皆様、オイラは゛前期独居老人゛でも皆様の温かい善意に支えられて今年も一年、死なないで生き永らえることが出来ました。来るべき新年は、オイラにとっては、もっと辛い年となるか、幸多い年となるか分かりませんが生きてさえいれば楽しいことにも出会えると思います。本当に一年間、ご愛顧ありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。最後に一句「炒り豆をほうばりながら マメを祈って 大晦日」。オソマツでした。それでは皆様よいお年を・・・。
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