ながおかドキドキ通信


 明るい農村から「クラ〜イ農村」に

 オイラは2度のガンを患ってから水には気をつかっている。マンション暮らしの今は、屋上の貯水槽に水道水が貯められているわけだがその貯水槽の中に何かが落ちて腐っていたらと思うと気持ち悪くで飲む気にもなれない。貯水槽の定期点検は法律で義務付けられているというが果たして信頼に値するものなのかどうか・・・。
 そんな訳で暇つぶしに湧き水を汲みに行くことが休日の日課になりつつある。きょう(22日)、汲みに行ったのはオイラの住んでいるマンションから車で約10分、長岡市営スキー場のさらに奥、鋸山のふもとに湧き出ている水だ。20㍑のポリタンクに汲んでくるのだが何日経っても湧き水独特の臭みが出てこないので気にいっている水だ。
 長岡大学脇を抜けて栖吉の集落に入る手前に大きな銀杏の木があり、久しぶりの初冬の陽が黄金色もきれいな大銀杏に差し込んでいた。そしてその脇を耕耘機がトロトロと走っていた。敗戦から64年、それまで手作業だった農耕にも機械化が進んだ。ちょうどオイラが小学生となった頃、農家には耕運機が導入され田んぼの仕事も相当な省力化となった。耕運機からトラクターへ、稲刈りは手刈りから稲刈り結束機といわれるバインダーからコンバインへと変化した。モーターリぜーションの波が押し寄せていなかった時代、耕運機は農家では農作業の道具であったばかりでなく乗り物としても重宝がられたという。
 どこの市町村にもあった青年団の話。夏、寺泊の浜まで海水浴に行くことになったという。足は何と耕運機。後ろの運搬車にゴザを敷いてそこに何人かが乗り、途中で燃料が切れないようにガソリンの予備まで積んで行ったと70歳代の人から聞いた話だ。肥やしの臭いがプンプンしそうな牧歌的な話だった。
 耕運機といえば自然回帰からか家庭菜園ブームで畑の畝を耕す小型の耕運機がテレビCMに流れている。オイラのような年代は「明るい農村」は耕運機から始まったといっていいだろう。
 ジイサンとおぼしき人が運転していた耕耘機。後ろの運搬車には山のような採りたての白菜が積まれその上にはバアサンが疲れたような顔をして乗っていた。車でその耕運機を追い越したオイラの頭の中には、さまざまな思いが駆け巡った。「いまだに公道を走っている耕耘機、運転しているジイサン、二人で食べるには多すぎる白菜の量」など。
 今、農作物を運ぶのは軽トラックが主力だ。もしかしたら軽トラックに老夫婦は釤乗り遅れた釤のだろうかと。農業は担い手不足から生業そのものが窮地に立たされている。3連休の中日、初冬の久しぶりに晴れた日だった。美味い水を汲みに行くノー天気なオイラには老夫婦が耕運機で運んでいた白菜の山に明るい農村ならぬ「クラ〜イ農村」の影がヒタヒタと押し寄せているように思えた。