ながおかドキドキ通信


派遣村にもニューイヤー
  ゛師走の悪しき風物詩゜
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(新宿中央公園内に特設された派遣村。正午とともに炊き出しの昼飯が配られた)
バツ1のオイラのような中年オジンは年末年始、GW、お盆休みほど苦痛な休日はない。それは何故か?・・・。要するにすることがないからなのである。ひにくれもののオイラは、ことに新年を迎えるこの時期が一番辛い。お年玉をもらえる歳でもないし、また、やりたい人間にも疎遠となってしまったからだ。そんな訳で年末は「近所の人の幸せそうな顔をみるのもイヤ」なので地元にいないことにしている。
 今年は東京に来ている。きょう(31日)は高校サッカー選手権で北越高(新潟市)が優勝候補の一角、国見高(長崎)と対戦するのを見たかったからだ。前半30分も経過しない間に北越は3失点。風も強く寒かったことと「あまりの失点のよさ」にアタマに血が昇ったので試合全部を見ないで競技場を後にした。
 駒沢陸上競技場でのサッカー観戦は午後から。その前にどうしても見ておきたい場所があった。昨年は、日比谷公園、今年は新宿中央公園に出現した通称「年越し派遣村」だった。オイラは早起きなので午前9時半頃、同所にに着いた。「ナァンダ、テレビでいうほどたいした人数じゃねぇナァ」。派遣村の人には極めて失礼だが人数の少なさに少しガッカリした。
 30日〜4日までのスケジュールが記された印刷物が同公園内に設置された事務局とおぼしきテントの前に置かれていた。それによれば正午にお昼の炊き出しがあって午後4時には衣類の配給があり同5時半から「年末コンサート」が開かれ同7時から晩飯と新春を迎えるまでのスケジュールが楽しそうに記されていた。
 新年を迎えるにあたって諸般の事情から同地に来なければならない人は本当に気の毒だと思った。そしてそれらの人たちを自分の問題として捉えてボランティアで支援している人らの心根には胸のつまる思いだった。 「ふるさと長岡で職もなく住む所もない人はいるのだろうか・・・。もし、いたとして誰が目の前に現れている現象をやるのだろうかかと・・・」と。もしかしたらオイラだってこのお仲間入りをしていたかも知れない。昨年の今頃は、オイラがメーンになって設立した会社からは解雇。時を同じくして妻からは離婚を迫られた。仮に長岡に年越し派遣村があったらオイラは真っ先に駆けつけていただろう。
 正午の炊き出しまで約2時間。色々な人の姿を観察した。大部分が50歳代から上の人たちだった。三々五々集まって来た人たちは約300人。そこかしこの会話の内容から皆、顔見知りらしかつた。「どこの宿舎を追い出されたとか。新年4日には、ここに来ても飯が食えないとか」聞いていてもイライラする話ばかり。
 たしかに年越し派遣村に集う人たちには苦しい過去があったんだろう。けっしてその人たちを責める気にはなれない。バブル時には栄華をほこった暮らしをしていただろうと思われる人も何人か見受けられた。こうした人たちを野放しにし、リベンジの機会も与えなかった国の責任も問われてしかるべきだ。
 正午前、昼食の炊き出しを与えるボランティアと受け取る人間に記されたラインに沿って゛村人゜は整然と並んでいた。昼食の炊き出しが出来上がるまで約2時間。オイラはしっかりと現実を見たぞ!。人間は地球上に生きとし生ける動物とは違って「考える力」を持っているハズだ。確かに゜同村民゜を輩出した社会は断罪されるべきだ。しかし、それわをいいことにお昼の炊き出しが出来上がるまでジッと待ってていいものなのか。退屈なのかどうか朝からカップ酒を飲んで人の作った昼飯をタダでご馳走になる。こんなことが考える動物の人間がやることなのかと」。
 オイラは年越し派遣村の住民にいいたい「苦しいだろう、切ないだろう、死にたいと思うだう」。けれども社会の皆はそれをジッとガマンして必死で生きているのですよョと。人間にしか備わっていない考える力という知恵を絞り、日々の暮らしを自らの力で支えているのです。人に施しを受けた食事を何の分別もなくただむさぼり食べて果たして人間としての尊厳や矜持を保てるのですかと・・・。まずは自らの生活態度をあらためることが肝要かと存じます。

 ※今年の「ながおかドキドキ通信」は本日をもってこれでお終いです。飽きもせず読んで下さった読者のみなさまには心から感謝申し上げます。
 来る新年が読者のみなさまに幸多い年となるようご祈念申し上げます。