ながおかドキドキ通信


    ディスカバーながおか
      崩れそうな石ににまつわる悲しい物語              

【旧山古志村虫亀地区にある今にも崩れそうな三味線石】
 明治期から昭和の時代まで県内には目の見えない女性たちが三味線を背に各地の村々を回って唄を披露するゴゼさんが大勢いた。高田ゴゼと長岡ゴゼがともに県内の一大派閥だったという。
 長岡ゴゼにまつわる話だ。旧山古志村虫亀闘牛場近くに丘の上から今にも崩れ落ちそうな岩が露出している。「三味線石」といわれゴゼさんらの虐げられた境遇を今に伝える石だ。いい伝えによれば「昔、虫亀に利衛平という強欲な金貸しがいた。ある吹雪の晩、二人のゴゼさんが旅の途中で疲れはてて利衛平さんの家の前で休んでいた。ところがこれを見つけた利衛平は、けんもほろろに追い出した。二人のゴゼは仕方なく吹雪の中をとぼとぼと歩いたが、ついに動けなくなった。最後の力を振り絞って二人は三味線を取り出して、かどづけうたを弾きはじめその音は吹雪の山にしばらくの間、響き渡ったが、ふっと止んだ。そのとき山から大きな石が二人の上に落ちた。それ以来、吹雪の晩には三味線の音が聞えてくるようになり、村人はゴゼの崇りと恐れられた。利衛平は心から悔い改め、これまでの貸し金を全部帳消しにし、仏の利衛平と呼ばれるようなったそうだ」(2010年3月新潟県長岡地域振興局発行二十村郷の石仏から)。
  生まれながら目が見えなかったり、病のため盲目となった女性らは生きるために家族と離れ、親方といわれるゴゼの家に養女となって芸を仕込まれ三味線を脊に各地の村々を「かどづけ」して生計を立てていた。そんなゴゼさんらは娯楽の少なかった時代には村人にとっては貴重な情報の伝達者でもあったらしい。けれども反面、目が見えないというハンディから虐げられたことも事実だ。
 棚田の緑も目にまぶしい山古志地区。車が一台通るのがやっとの虫亀集落の三味線石のある場所から向かいに連なる山道を見渡すと山稜の奥から三味線の音に乗った悲しいゴゼ唄が静かに聞えてきそうだ。