ながおかドキドキ通信

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     霜鳥よお前もか!
大相撲八百長疑惑
 3日の毎日新聞が大相撲の八百長疑惑をスクープしていた。昨夏の大関琴光喜野球賭博に関連して警視庁が押収した携帯電話の記録で判明したそうだ。その中で限りなくグレーな力士13人が顔写真入りで同紙の社会面に掲載されていた。中でも驚いたのはその13人の中に旧新井市出身の霜鳥(時津風部屋)が入っていたことだ。
 オイラは、某スポーツ紙の記者時代は何故か霜鳥と縁があった。シコ名の霜鳥は本名。最初に彼と出合ったのは彼が高田農業高校1年生の時だった。取材したのは2月の下旬頃だったような気がする。その年の春、四国で行われる「選抜相撲大会」にチーム(高田農)が出場するというので取材に出かけた。その頃で霜鳥は身長が1㍍90近くあったが足長で下半身がぜい弱で強い選手ではなかった。オイラの記憶に間違いがなければ中学までは違うスポーツをしていたハズだ。その後、県高校総体や国体予選、弥彦奉納相撲などで高校3年間の間、度々、顔を合わせていた。まあどこにでもいる選手で特段のオーラもなければワルでもなかった。
 霜鳥が高校3年の11月頃だったように記憶しているが、理事長まで務めた境川親方(元横綱佐田の山)がどこの主催だかは忘れたがホテルニューオータニ長岡NCホールで講演を行った。その講演を聞きに霜鳥もチームの仲間とともに聞きに来ていた。ジーンズ姿のラフな格好で頭の毛もチョと伸びて何だか色気づいていた。すでに東京農大に推薦で進学を決めていたことから妙に明るく眼鏡の奥から少年らしい朗らかな瞳がアマチュア選手ならではの「清く正しく」を象徴していた。ただオイラのその時の予想は「マア大した選手にはならないナ」と感じていた。それが学生横綱を極め鳴り物入りで大相撲入りした時もビックリした。投げ技がさえているわけではなく、押し相撲でもなく特徴のない力士だ。腰が悪いのか大相撲入りしてから幕内と十両エスカレーターして最近ようやく幕の内に定着していた。
 10年前位だったと思う。夏の「新井まつり」に関取として故郷に錦を飾る形で参加した霜鳥を取材した時、大銀杏を結った霜鳥は「久しぶりです」とていねいにオイラにあいさつをしてくれた。地位が人間を作る好事例だとオイラは感激した。その次は、6年前の大晦日の夜のこと。元旦に全国サッカー選手権に出場する担当チームの取材があったので大晦日の宿は浅草のホテルにとった。やることもないので浅草の馴染みの飲み屋のネェチャンを誘って深夜、初詣と洒落込んだ。生まれて初めてお江戸の大晦日を経験し、しかも小粋に浅草寺へ女と二人で初詣。まるで落語の世界。オイラの心も弾んでいた。あの大きな提灯が下がっている大門から同寺の境内まで約1時間は費やしただろうか。仲見世の途中で参拝を終えた力士が女と破魔矢を持ちながら楽しそうに向こうからやってくる。オイラの脇に近づいた時、よく見たらそれは霜鳥だった。年末の何ヶ月か前に婚約を発表していたことをオイラは知っていた。きっと連れの女は婚約者だったのだろう。オイラみたいなヤクザなスポーツ記者が声をかけても相手が迷惑なだけだから声はかけなかった。「出世したナ」と思った。
 霜鳥本場所15日間の成績は負けが続いたかと思うと突然、勝ちが続くといった不思議な成績。かつて某国営放送のアナウンサーも放送で霜鳥を紹介する時「○敗が続いたと思うと今度は○連勝。不思議な力士ですネ」といっていたことが思い出される。
 今の霜鳥は、三役になれるほどのオーラもなく、前頭上位で運がよければ三賞の候補になるくらいのせいぜいの実力だ。よく言えば気持ちがやさしい。悪くいえば事の罪悪を感じられないといった相変わらずの優柔不断的な性格だと思う。八百長が事実とすれば自ら「買い」に走ったのではなく最初は仲介人が買いに来たので「売る」ことから手を染めたのではないかと想像する。そう考えると某国営放送のアナウンサーが放送の中でしゃべった「不思議な力士」という表現も八百長を指していたのではないかと思える。
 霜鳥の所属する時津風部屋は、69連勝を記録したあの大横綱双葉山が部屋を興した由緒ある部屋だ。「押さば押せ」と奇をてらうことなく相撲道をまい進することを旨とする、いってみれば力士の見本を育成しているような部屋だ。それが数年前には、親方自らがリンチ殺人事件を起こし今度は霜鳥八百長疑惑に染まっている。もうここまで来れば大相撲は、スポーツではなく「興行」を最優先させたプロレスと同じショーのレベル。これは八百長疑惑などではなく完全な事件だ。

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