ながおかドキドキ通信


  小説「光る砂漠」−夭折の詩人矢澤宰の生涯ー
1962年1月1日、宰の病室
 病室のベットの上で年賀状を見ている宰。そこに吉住先生が入って来る。「宰君、新年おめでとう」と吉住先生。「先生、おめでとうございます」と宰。「体調はどうだね。二学期から試しに学校へ行ったが検査の結果で尿の具合もいいみたいだから三学期からは歩いて学校に行ってみるかね」と吉住先生。「えぇ歩いて登校してもいいんですか。オレの体そんなに調子がいいのですか」と宰。「ああいいよ。今度は体力をつける意味でも歩いて学校へ行くんだよ」と吉住先生。「・・・」と宰はとうとう歩いて学校へ通えるまでになったことから涙にむせぶのだった。「病気が治るまでもうすぐだよ宰君。もう少しの辛抱だからね。頑張るんだよ」と宰の肩に手をやって励ます吉住先生だった。 
養護学校の教室
 授業開始まで時間があるため誰も登校していない。自分の席で一人、勉強する宰。そこに遠間先生が入って来る。「矢澤、すいぶんと早い登校だね」と遠間先生。「今日から病室から歩いて登校したんです。遅れると悪いと思ったので早く来たんです」と宰。「ああ、そうだったね。吉住先生から聞いてはいたが今日だったけ・・・。それにしてもちょっと早いぞ。まだ始業まで30分はあるぞ」と腕時計を見ながら微笑む遠間先生。「頑張るのはいいが、焦って体の具合が悪くなってらどうしょうもないぞ。少しは注意しないとな」と宰を諭すようにいう遠間先生。「いいえ先生。オレ一日も早く中学の勉強を終えて高校へ進学したいのです。そのためにも今のうちに一生懸命勉強したいんです」という宰。「偉いぞ矢澤。その気持ちだ。君がそれだけ一生懸命勉強していればきっと高校へも行けるひが来るぞ。頑張るんだよ」と遠間先生は感激して宰を励ます。遠間先生と宰が教室の中で話しをしている間にクラスの皆が次々と登校して来る。(続く)
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