ながおかドキドキ通信


  現代の落城
   悪魔の玩具に翻ろうされる避難住民(東日本大震災)
 1868年(慶4)、9月(新暦)戊辰戦争で城を奪われ敗戦が濃厚な長岡藩士や町民は、三条市(旧下田村)の吉ヶ平から八十里越えを通って友藩の会津へと落ち延びた。時の軍事総督、河井継之助は足を負傷していたことから戸板に乗せられながらこの峠を越えていった。継之助は「八十里越え腰抜け武士の越す峠」とその時の心境を自ちょう気味にこう詠んだ。
 3月11日、東北地方を襲った未曾有の「東日本大震災」から2週間が過ぎ地震津波の心配から現在の最大の関心事で不安要素は、東京電力福島原発の事故処理だろう。TVニュースを見ている限りでは原発が休止の方向へ行っているのかどうなのか要領を得ない。原発が立地している地区から半径30㌔圏内の住民には自宅退避から今度は、自主避難の勧告が出されたという。自主避難という聞きなれない言葉。要するに「自らの判断で避難してくれ」といっているようなもの。これでは国民の生活を守る政府の対応などあってないようなものだ。長岡にも南相馬市から約1000人の同市民が避難して来て不自由な避難生活を余儀なくされている。その映像を見るにつけて今から143年前、戊辰戦争で時の長岡市民が味わった苦しみを想像せずにはいられない。
 家屋が物理的に崩壊したわけではなく、空から槍が降ってくるわけでもなく「放射能」という目に見えない゛悪魔の粉゛が住民を直撃し日増しに危険区域が拡大されようとしている。気の毒などという生ぬるい言葉で表現できない位の恐ろしさだ。TVではコメンティーターと称する輩が連日、政府、東電の対応の遅れを批判している。いいかげんにしてほしい。確かに政府の対応は決してホメられたものではないが、枝野官房長官の記者会見を見ていると次々と起こる惨事の対応に「病気にならなければいいが」と心配になる。
 コメンティター諸君よ、よく考えてもらいたい。こんな未曾有の大惨事に対応がスムーズなわけはないのだ。対応がスピーディーで誰からも批判が出ないとしたらそっちの方がもっとオカシイ。人類が作った゛悪魔の玩具゛の「原子力発電所」が想定外の反応を引き起こして今やこっちの穴をふさげば今度はあっちの穴が破れる状態なのだろう。むしろ現政権は一生懸命やっていると感じる。規模は違うが阪神大震災時の村山政権から比べたら雲泥の差だ。
 問題は「原発安全神話」を企業とともに強力に推進しドロナワ式に原発の立地を認めた当時の自民党政権こそ大いに批判されるべきだろう。現政権の対応のマズサを批判するのでなく明らかに安全神話は崩壊したのだから自民党こそもっと全面に出て原子力行政を推進した責任をとってもらいたい。
 何もなければ長い冬が終わり陽光が射す暖かい春の訪れとともに桜が咲いた下で人は農耕に精を出し、新入学を控えた児童は新しいランドセルをなでながら学校へ登校する日を待ちわびているハズだ。たおやかで何気ない人々の暮らしを奪った天災の地震津波そして大いなる人災というべき原発事故。世界でこの国の住民しか体験していない原子力の恐ろしさを日本人は再び体験しようとしている。143年前、戦争で長岡市民が経験した落城という苦しみを避難住民は政治の愚かさから、誰にその不満の矛先をぶつけたらいいのか分からない「現代の落城」を強いられている。
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